2014年03月

朝夕に見上げる空の、雲が黄色く映えているときがある。兰柯一梦
冬の灰色の雲を押しのけて、そこだけが明るく、そこだけが温かい。
雲は一瞬で形も色も変わるが、その一瞬の光景が、何かを思い出しそうで思い出せない。何かが見えそうで見えない。そのようなもどかしい心の情景を、雲が反映しているようにみえたりする。
だがそれは一瞬のことだ。一瞬の閃きのようなもので、すぐに消えてしまう。その一瞬は、貴重なものだったのかそうではなかったのか、そのような瞬間をいくつもやりすごしているのが日常だろう。

きょうは成人の日。
20歳の自分を振り返ってみても、特別なものは何も思い出せない。
ぼくには、そのような区切りの日はなかったのかもしれない。自分のことも周りのことも何もみえていなかった。
20歳のぼくはどこにいたのだろう。流年潺逝
東京では珍しい大雪の日だった。ぼくは長靴を履いて、歩いて大学の受験会場に向かっていた。雪道はそこで途絶えている。夢や希望もその先に続いていたわけではない。
危うい青春の一歩ずつの歩みだった蜻蜓点水沾沾酒杯
折れそうになる弱い心が支えられていたのも、いつかの空にも夕映えのような雲があり、一瞬の雲の輝きがあったからかもしれない。mequeerの日記

心灵幸福

僕がこの言葉を初めて聞いたのは、今から20年以上前のことだ。
 その頃、かなり落ち込んでいた僕に、ある人が書き送ってくれた。
 彼女は、頭の中に入っているこの祈りを、思い出しながら筆記してくれたので、それは実際翻訳されたものとは少し違うこんな文章だった。defu

「神様、変えていくべきものを、変えていく力と、
 変えられないものを、あきらめ、受け入れていく勇気と、
 変えられるものと変えられないものを、見分ける知恵を、与えて下さい。」

 意味は、原文や翻訳されたものと、大体同じことだと思う。 陀螺的旋转
 当時の僕は、この言葉を何度も読み返した。
 特にあきらめることに慣れきってしまった虚しさに、後ろを向き始めていた僕は、「受け入れていく勇気」という言葉に引きつけられた。

 あきらめるという行為に、不意に勇壮なイメージを与えるその言葉は、僕の胸を熱く叩き、僕はそれからの数年間をその言葉に従って生きることになったのである。

 そしてその数年間に僕は、人間としての大きな成長期を通ったような気がする。 yoyoluslyの日記
 その間に起こった出来事は、どれもが僕を打ちのめし、勇気づけ、叩きつぶし、導いてくれた。

 元が凹んだマイナス地点にいたわけだから、成長したといっても、その期間を経てやっとスタートラインに立てた……、という程度ではあるが、僕にとっては本当に貴重な数年間だったと思う。

 しかしながら、結局そのスタートラインに立った時から数年後、弱虫の僕は、再び動けなくなった。
 それも今度は同時に、自分で自分を支える力が、その限界点に達してしまったのだ。

 自分はもう大丈夫だと思っていたのは、実はとんでもない錯覚だった。福寿月志
 僕は道を本当に危うい足取りで上っていたのに,そこを自照していなかったから、訪れた崖っぷちでまんまと体勢を崩し滑り落ちてしまう。 yoy*l*sl*のブログ

 その日までの僕を支えてきたのは、僕の中の「勇気」だった。あの祈りの言葉に励まされ奮い立った「受け入れていく勇気」だった。
 『自分』を受け入れていく勇気だ。

↑このページのトップヘ